エッフェソイヤ!

建築のバックグラウンドから、次世代の建築を作るにはどうすればいいか考えているデザイン系院生が、建築/ゲーム/XR/UXデザイン/シチュアシオニスト/バク転/カポエラ/パルクール/筋トレ/クラブカルチャーについて幅広く語ります。

交換留学した理由について(理由って必要?)

理由について、と書いているが、実は自分は”何かをする前にその理由を納得するレベルまで決めること”にはあまり意味がないと思っている。
単純に言うと、世の中は自分の予想よりはるかに複雑で、思いもしないところから変化して行ったりして、その偶然の出会いが人生の決め手になったりするので、ある行動を起こす前に自分が設定した理由は、ものすごいスピードで変化していくからだ。
もちろん、どういう方向に自分が向かいたいのか、という意味での何かの行動に対する理由は必要だと思う。しかし、その行動がどこに繋がって、将来的に自分はどうなっているはずだ、と言う部分まで描けるまでは、行動を起こすべきではない、と言う考えに対しては、疑問がある。
ただ、自分の行動を後から振り返って、何かの繋がり/ストーリーを見いだすことは可能で、その作業は次の方向性を決める上で重要だと思う。このブログもその為の側面がある。
 
※最近読んでいる本、ナシーム・ニコラ・タレブの「反脆弱性」に影響を受けて考えたことです。近々この本自体の記事も書こうと思います。難しい部分もありますが、面白いので是非読んで見てください。
 

 

 
自分の行動をよく観察していると、いつも就活の志望動機に書けるような明確な理由に基づいて何かを決めて行っているわけではない。
高校の時に留学をしたのも、国際貢献のできる人材になりたい!これからは英語の時代だ!語学をやらなければ!というよりも、本当になんとなく海外行くと面白そうだな〜という程度の気持ちだった。
 
そして、国がドイツに決定したのも、資金を提供してくださった留学団体のポスターをたまたま学校の廊下で見て、その留学団体ではたまたま国が自分では選べずに団体の人が自分の性格を見て提案してくれたからだ。
 
そこで、偶然建築家のホストファミリーと出会い、建築学科に入り、海外大学院の正規生としての受験に失敗し、偶然ベルリンの大学への枠が余っていることを知った。
 
※大学院受験の失敗の話は、今度また書こうと思います。ネットで見ると成功した話ばかりで、失敗事例も参考になると思うので。
 
理由は後から付いてくるが、それでも自分がある決断をする時に”なんか面白そうだ〜、やるか!!"と言う状態に至る前段階で、無意識に考えていることがあることを発見した。
それは、ある行動をした後に得られる結果で”最悪の場合どうなるか”と、”最高の場合どうなるか”を比較して、最高の場合が最悪の場合より、体感で2倍くらい上回れば、特に明確に理由づけられなくても行動する、というものだ。
この理屈に則って色々なものを決めているので、もちろん予想外のハプニングで失敗する場合も多いが、あらかじめ最悪の場合が小さい行動を選んでいるので、その際のダメージは小さい。その代わりうまく行った時に得られるものが多いので、何回も決断をしているうちにそれが積み重なると最終的にはどんどん良い方向にことが進んでいく、という訳だ。
 
ベルリンへの留学をする時に考えた最悪のケースは、
・一年間何もしないで単位だけ取って、生活費分損する(日本にいるのプラス家賃の4〜5万x12くらい。)
・6ヶ月卒業が遅れる。
・留学した、って経験と、語学が向上するだけ、高校の繰り返し。
 
最高のケースは、
・こちらで必修に縛られず取りたい授業をたくさん取って、遅延なしで卒業できる。
・大学院の授業に縛られない自由な作品作りや活動が出来る。
・ベルリンにいる面白いアーティストやデザイナーとの繋がりを使って仕事ができる。
・ヨーロッパのゲーム会社とかに入って、アメリカに行くこともできるかもしれない。
 
自分の中の物差しで測って、最高のケースが最悪のケースの2倍を上回ったので、留学を決めた。
 
で、実際今は最高の状態と最悪の状態で、最高よりの真ん中くらいにいると思う。
正直に言って、大学の授業は思ったよりも大したこと無く、目をつけていた教授が大学の登録の問題で授業を持てなくなったりした。あとは、”我々のスタジオでは最後に1/1のプロトタイプを作ります!”と息巻いていた授業で、ひたすらスタジオの運営方針のコンセプトを3ヶ月練ることになったりした。
しかし、行く前は全然しらなかったゲームを作る授業が建築であって、その授業を楽しんでいたら、"留学生だけどTAをやって見ないか?”というオファーが来たり、スタジオの同級生が個人で行っている仕事の手伝いをしたりと、やはり、思いがけないところから面白い方向に転じている。
 
もう一つの例を挙げる。
前にツイッターで知り合った人が、有名建築家のホテルのスイートルームを貸し切ってオフ会します!費用は全部僕持ちです!っていう企画の参加者を募集していた。
この時も、何で俺がそこに行くんだ?って言う考えよりも、”実際、最悪の場合と最高の場合は何だ?”と考えた。
 
一番ひどく失敗するのはその人が金払わずに夜逃げしたり、変な勧誘をされること。
でも、前者はよく考えるとチェックインの時に住所とか書くわけで、不可能だし、後者は気分悪くなったら帰ればいいだけ。さらに、既に何回かスカイプでもやり取りをしていて、変な人な感じはしなかった。
交通費は自分持ちだからそれを2-3万円損するくらい。
 
逆に、一番上手く行った場合、数十万円の建築家のホテルにタダで泊まれて、ご飯も食べれる。しかも、元々書いているブログの記事が面白い人で、会って色々話を聞いて自分の参考にできる。
結果、一番上手く行った方に転んで、今でもその人には色々、ブログの記事の書き方とか進路の相談を気軽にしたり、あった時めちゃめちゃ奢ってもらったりしている。
 
最悪/最高のケースの想定は、常に自分の想定を上回っていく可能性もある。
しかし、この想定の精度は、実際にこういう考え方で何度も失敗を積み重ねていくうちに精度が上がっていく気がする。もっと言うならば、実際に積み重ねてきた決断の総数でしか想定の精度は上がっていかないと思う。
さらに、多くの決断は途中でやめることもできる。失敗の大きさが自分の想定より上回りそうなら、辞めれる状態にあれば迷わず辞めればいいだけだ。
さらに、自分が許容できる失敗の大きさも、失敗を積み重ねていくうちに大きくなっていくので、どんどんダメージは少なくなっていく。
許容できる失敗の大きさが大きくなると、その2倍以上と定義されている最高のケースのリターンも上がるので、色々とうまくいくのではないか、と考えている。