エッフェソイヤ!

建築のバックグラウンドから、次世代の建築を作るにはどうすればいいか考えているデザイン系院生が、建築/ゲーム/XR/UXデザイン/シチュアシオニスト/バク転/カポエラ/パルクール/筋トレ/クラブカルチャーについて幅広く語ります。

アトマワシストの皆様、一緒に頑張りましょう。

 僕は、こういうブログをやっていたりすると、周りの人から
 
なんか上手く行ってそうだなーあいつ!
 
と勘違いされることがたまにあるのですが、全くそんなことはなく、毎日失敗ばかりしています。
 
大学院を受験する時も、研究テーマが中々決まらずに、結局第一志望の海外院は受かりませんでした。(今はその大学とは別のところで交換留学をしています)
卒業設計も、大風呂敷を広げた挙句、大雑把な予定設計で、後輩に何人も手伝ってもらいながら、ギリギリ提出を受理されました。
留学後も、ビザの申請に手間取り、危うく不法移民になるところでした。
 
で、こんな失敗が、何が原因なんだろうな、と最近考えて少し分かったことがあります。
それを今回は、解決法込みで記事にしました。 
 

上の失敗は、ほとんど”後回しにすること”が原因

 
上にあげた失敗をよく考えてみると、自分のどうにも変えられない先天的な障害や、何かものすごく不運が重なった、というより、単純に面倒くさすぎて後回しにしてしまった、というのが大きな原因になっています。
 
大学院受験は、研究テーマ決めやポートフォリオの作成にかける時間を、普段のやっていることの忙しさを言い訳にしてやらなかったのが原因ですし、
卒業設計では、詳細を詰めていく作業を先延ばしにしたまま、コンセプトを詰めることに終始しすぎたのが原因で、
ビザの申請は、シンプルに面倒臭くて事務所に行かなかったからです。
 
この、後回しにしてしまうことに対しての解決策を、今回の記事では
 
心機一転!自分は変えられる!自己改革!
 
という自己啓発本のテンションではなく、
 
お前はダメで、今すぐ変えないとこんな大変なことになるぞ!
 

というカイジ利根川さんや闇金ウシジマくんのようなテンションでもなく、現実的に、同じような失敗する可能性を減らすためにはどうすればいいか、地味なものを提案して行こうと思います。
 

アトマワシスト(=procrastinator)の定義

 
・要領が悪いわけではないし、何かの動き出しは普通の人より早い。しかし、逆に普通の人より早く終わらせられる、と思ってしまうため、途中なにもせず、最後に終わらせるタイミングが極端に遅くなってしまう。
 
・そうして持ち前の要領で何度もギリギリで間に合わせて来た経験があり、何回かは普通の人より良いアウトプットが偶然出たりするので、なかなか本当に痛い目に遭わず、改善しない。
むしろ、ギリギリのところで勝負するスリルのようなのを楽しんでいる自分がいる。
 
・しかし、折角要領が良いのに、実質的に製作などにかける時間が少ないので、最終アウトプットは多くの場合周りの普通にやっていた人と同じかそれ以下のものになる
 
多くの人は多かれ少なかれ、行う仕事の種類によりこういう性質がありますが、それが特に顕著な人を指します。
自分のその性質で、何回か大きな痛手を負ったことがある人、と言いましょうか。
 
僕は、大きなものを挙げると大学4年の卒業設計と、大学院の受験で痛い目に遭いました。
 
こう言った種類の人を、英語ではprocrastinator(procrastinate=先延ばしにするの名詞)と呼ぶのですが、日本語でうまい単語が思いつかなかったので、本記事では、
 
アトマワシストと名付けました。
 
Procrastinatorの生態について面白く解説しているTED Talkの動画です。わかる!という人も多いのではないでしょうか。
24年生きてきて気づいたのですが、この性格は、一種の生まれ持ったものなので、無理に否定しない方がいいと思います。
しかし、だからと言って今の世の中で落伍者として生きていくしかないんだよ、というわけではないと思います。(後で説明しますが、むしろ逆だと僕は思っています。)
 
アトマワシストの度合いが小さい、世の中の当たり前に期日に間に合わせることができる人は、
 
ああ、こういう人もいるんだなぁ、大変だなぁ
 
という暖かい気持ちで見ていただけますと幸いです。
 

アトマワシストは、義務感・恐怖感では継続的に動かない/動けない

 
もちろん、普通の人も嫌なことを我慢しながら日々予定に間に合わせています。
彼らが、しょうもない事務作業や、ハンコの為だけに建物を往復したり、この時代に手書きのESを書いたりするのが好きでないのは明確です。
なので、自分が予定に間に合わせられないことを正当化するつもりはありません(各方面の方々、いつもご迷惑をおかけしています。)
ただ、アトマワシストの人々は、その我慢する能力、また、それらをしなければならないという義務感や、しないと大変なことになる、という恐怖感が、ほぼゼロに近い人が多いです。
別の言い方をすると、常人の比ではない極度のめんどくさがり、と言えます。
 
ただ、それだけではなく、自分が”何に対しては遅れて、何に対してはしっかりやっているか”をよく観察してみると、
自分が本当に心の底から面白いと思ったり、意味があると思ったことは、普通の人よりもものすごく先回しにして行なっていることに気づきました。
 

 
このつぶやきにあるように、自分が書きたいと思ったブログの記事は誰に頼まれなくても、忙しい日の後でも数千字書けますし、
 
好きな筋トレは疲れていても、忙しい合間を縫って行ったりします。
 
高校の頃、一時期僕は高校の授業前に自習をしていました。完全に先回しして勉強しています。
しかし、それは、中学受験の時代に自分が数学が絶望的に苦手で、高校に入ったあと心配でしょうがなかったからです。
その後、自分が建築学部に行くことを決めた後、その学部が付属校からの進学では定員割れをしていると分かった瞬間に、ぱったりと授業の為に勉強するのはやめました。
 
高校で留学した時も、普通の人は”大学からでいいんじゃない?”と後回しにする中、大学だと専門性と結びついた留学になったりすることが多いので、
とりあえず行って見る、ということができない、と思い、先回しして留学しました。
 
建築のコンペも、誰にもやれと言われていないのに、大学の課題をそっちのけで熱中していました。
 
ここから言えるのは、アトマワシストの人は、義務感や恐怖感から動くのではなく、自分の長期的な目標や、ポジティブな報酬(単純に楽しい、というものだけではありません)に、普通の人よりも大きく突き動かされるということです。
 
解決法:どんなくだらない作業でも”レベルアップ"と捉える。長期的目標と繋げる。
 

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先ほどのTed Talkの中で、アトマワシスト(Procrastinator)の頭の中を説明する時に、合理的な決定者と、短期的享楽の猿、という例えが使われていました。(上画像)
これは、すごく僕らアトマワシストの頭の中を表現していると思います。 
そして、このお猿さんを無理に”こうした方が長期的にはいいんだよ!、しっかりしなきゃ!”と頭ごなしに飼いならすことはできません。
 
しかし、お猿さんをうまくポジティブに誘導していくことは可能です。
例えば、ものすごくめんどくさい事務作業を先回しにしてやらなければならない時に、自分の場合であれば、
 
この事務作業をやれば、自分の事務作業レベルがアップする!そうすることで、実際社会に出ても信頼がより得られるようになり、最後には面白いものを作ることに繋がる!
 
という風に、無理やり自分の中のお猿さんに、短期的に見えるエサを与えてやる感じで考え方を変えれば、意外と自分の身体も動いて行きます。
 
これは、ただの言い方だけじゃないか、と言ってしまえばそれまでなのですが、結構現実的に効果のある方法だと思います。
 
どうしてもやらなければならない嫌なことが出て来たら、レベルアップの考え方を用いてみるのは、現実的な解決法としてアトマワシストが取れると思います。
 
ただ、気をつけなければならないのは、普通の人レベルに期限に間に合わせることを目標としない、ということです。
それをやってしまうと、続きません。3回のうち1回はうまく間に合う、のような成功を積み上げて行って、だんだん間に合う確率を上げて行くイメージでレベルアップして行った方が、我々アトマワシストには現実的だと思います。
 

アトマワシストはなぜ現代社会で辛いのか

現代社会の”ちゃんとしている人"は、締め切りや時間割で動きます。
そうしなければ、誰が次に何をするべきか、が決定せず、物事が進まない為です。
ここで、"現代社会”とわざわざ言っているのは、大昔は実はそうではなかったのではないか、と僕は思っているからです。
この”締め切りや時間割で動いていく"社会の仕組みは、実は農耕が始まってからできたものだと考えられます。
更に、農耕社会の中でもごく最近、日本でいうと明治時代以降、もしかすると戦後以降に生み出された価値観である可能性もあります。
 
よく、年長者の方が"それだと社会では通用しないぞ!社会は厳しいぞ!"という時の"社会"は、恐らく日本では明治時代以降の近代化された社会を指しています。
 
肉食動物は、自分のお腹が空いていよいよ大変になるまでは、だらだらと過ごしています。
現代社会では比較的見下されてしまう、日雇い労働者の方々の生活に近いです。
人間も、農耕が始まる前までは、その日に肉が手にはいれば食べる、明日のことは考えない、という生活スタイルでした。
明治時代の前の江戸時代では、宵越しの金は持たない暮らし、というのはかなり当たり前だったのではないか、と僕は認識しています。
 

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note.mu

※こちらの記事から引用させていただきました。

 ※この辺りの更に詳しい話は、サピエンス全史という本に書いてあるので、ぜひご一読ください。
サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

※江戸時代の暮らしは、杉浦日向子さんの百日紅がよく描かれているので、興味のある方はご一読下さい。 

百日紅 (上) (ちくま文庫)

百日紅 (上) (ちくま文庫)

 

 

 
アトマワシストの人は、別に何かが劣っているというよりは、なぜか、狩猟採集社会的なプログラムが頭の中に深くインストールされている人と言えます。
それが、遺伝子から来るのか、環境から来るのかは不明です。
僕の両親や妹は僕と真逆で、期限には必ず間に合わせるしっかりしたタイプで、伯母や祖母はどちらかというとアトマワシストなので、僕にはどちらかは分かりません。
 

アトマワシストも生きやすい世の中になりつつある…?

20世紀の労働集約型(企業に雇用されるタイプの働き方)では、アトマワシストの方々が非常に苦手な、
  • 嫌なことを我慢できる能力
  • しっかり予定に間に合わせる能力
  • 事務的な調整能力
が求められてきました。
それ故、多くのアトマワシストは、
 
”あいつ頭はいいけど、ちゃんとやらないからな〜"
 
という感じで周りに評価されて来たのではないでしょうか。
 
しかし、21世紀に入った現代において、それが徐々に変わりつつあるのではないか、と僕は思っています。
その変化の担い手は、他の記事でも触れていますが、インターネットによる個人同士の接続と、これから様々な場面で導入されるであろう、最近話題のAIの事務作業の代替が大きいと考えます。
 
インターネットは、本質として人と人の間に入っていた様々な仲介要素を排除します。つまり、20世紀的な企業での、"しっかりみんなと協力して、周りと同じことを、ミスなく行う"という、人と人の間をつなぐために重要な能力は、テクノロジーが担っていくので、ゼロになることはないにしろ、あまり求められなくなる可能性が高いです。それよりも、その人自身が何が好きか、どのような価値観を生み出しているのか、という点が注目されます。
 
つまり、好きなことに対してのプラスの方向へのドライブ力が強い人が、インターネットの接続力、AIの業務効率化能力で仕事を獲得して行く、という世の中ができつつあります。
 
たとえば僕の場合は、予定管理はすべてコンピュータに任せていて、アシスタントの言うことを聞いて行動している。 けれど、 自分の研究をするときは、責任と戦略は自分が負っているわけだ。 そのように、ワークアズライフ の時代には、責任と戦略の取り方が一人の中でモザイク状になるというか、ある一部に注力して他はプラットフォームに任せて合理化していく時代になってきている。 たとえば、Uberの運転手の労働プロセスは、どうやっ てお客さんを 拾うか、そのサービスは最終的に誰のせいになるのか、 それをどうやって運用していくのかという「責任と戦略」の部分はコンピュータ、あるいはUberのサービスに任せているわけだ。
 
落合陽一. 超AI時代の生存戦略 (Kindle Locations 424-429). 大和書房. Kindle Edition.
 
この、AIとインターネットの組み合わせによる働き方自体の変化、は落合陽一さんの"超AI時代の生存戦略"が、わかりやすくまとめてあるので、"こいつの言ってること、本当かよ?"と思った方は、読んでみてください。
超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト

超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト

 

 

 まとめると、アトマワシストの特徴である
  • 好きなことにはものすごいエネルギーを費やせる
  • 極度の面倒臭がり(生産性を上げるために不必要な労働を外部化するのが得意)
この2点は、現代において実は利点になりうるのではないか、という考えです。
 
しかし、AIが完全に事務作業を代替するには、もうしばらく時間がかかりそうです。恐らく、早くて10年、遅くて20年ぐらいでしょうか。(働く場所がアメリカシリコンバレーか、日本の田舎の銀行かで、更にその値は揺らぐので一概には言えません。)
 
そのため、転換期にある今では、徐々にアトマワシストの生きやすい世の中になりつつあるが、20世紀的な"ちゃんとしている人"像も獲得しておいた方がいい、という状態になっています。
現状、最低限の信頼は獲得しなければ、好きなことをドライブして行く立場に行くこともできないので、どうしてもやらなければならない後回しにしたいことが出て来たときは、
 
このハンコを買いにいくためだけに1時間移動する作業は、最終的に好きなことができるためのレベルアップだ!
 
手書きのお礼状を書くことは、自分の忍耐能力をアップさせる、これは最終的にいいものを創作する際のディティール詰めの忍耐能力のためのレベルアップだ!
 
という感じで呪文を唱えて、3回に1回は余裕を持って何かできるようにやって行きましょう。後の2回のうち、1回はギリギリに間に合わせ、もう一回はしょうがないので謝りましょう。
世の中のアトマワシストの方々、まだまだ、世知辛い世の中ですが、一緒に頑張りましょう。
世の中のほとんどのしっかり前もってやられる方々、いつもご迷惑をおかけしています。すみません。
 
でも、ハンコは本当になくなればいいと思うし、手書き=思いがこもっているという謎の考えもすぐになくなればいいと思います。