エッフェソイヤ!

建築のバックグラウンドから、次世代の建築を作るにはどうすればいいか考えているデザイン系院生が、建築/ゲーム/XR/UXデザイン/シチュアシオニスト/バク転/カポエラ/パルクール/筋トレ/クラブカルチャーについて幅広く語ります。

建築院生が卒業設計の失敗を振り返る

 
建築学科では、卒業設計という一大イベントがおおよそほとんどの学科で行われます。
半年ぐらいの準備期間を設け、巨大な模型を大量に作り、提出前は大体の人が徹夜している、という一種のお祭りのようなものです。
 
その卒業設計で、僕は正直に言うと、大コケしました。
 
正確に言うなら、自分としては今後を考える上でとても有意義な作品が作れたが、生半可な知識と技術で、あまりに多くの難しいテーマを同時に考え過ぎたため、
最終成果物の完成度(アウトプット)が、図面などを含め低く、考えていることが多くの人に伝わらなかった、と言う感じです。
 

 

課題の評価が全てではない、というのは確かですが、僕の作品は学内でも、せんだいデザインリーグに出しても箸にも棒にも掛かりませんでした。
「スターウォーズが好き」でも書きましたが、やはり何かのコミュニティで評価される、というのはどんなクリエイターでも自分の作ったものを世の中でスケールさせて行くにあたり必要なことです。その観点からは、大失敗であった、と言えます。 
 
今回は、その卒業設計の紹介も交えながら、来年以降に卒業設計を行うであろう建築学生、また卒業設計を終えた学生へ向けて、
 
こうなると失敗するよ!という忠告を書こうと思います。
あまり、恥ずかしくて失敗したことを堂々と書いている人がいないと思うので。
また、失敗してもよかったなあと思ったこともあったので、それも書いています。
 
 
 

卒業設計の軽い説明

自分の卒業設計は、以下のポートフォリオサイトで確認することができます。
 
 
卒業設計提出した状態そのままをアップロードしているので、
「ああ、頑張ったんだけど間に合わなかったんだな…」
という雰囲気が痛いほど伝わると思います。
 
少しバージョンアップして、せんだいに出したボードはこんな感じです。まだ荒削りです。
 
 
 

内容としては、渋谷の屋上、建物の間、空き地などの空間に、人々が奇妙な形ですれ違うだろう構造物を、まず普通に設計し、その意図を利用者から見えなくするため(利用者による偶然の利用を促進するため)に、構造をものすごく弱いヒモのようなものに置き換えて行く、という計画です。

 

以前から都市に対し、"取り付くしまのなさ"を感じ続けてきました。
そこで、本計画を行うにあたり、公共空間は、行政主導による「極端な分離」に基づいて設計され、結果として、誰の為でもない場になっているという問題について、考えました。
近年の社会現象を鑑みると、多くの人々の居場所を提供している点で、公共の今日的な現れと言えるものとしてデモ活動や、位置情報を利用したスマホゲームがあります。
前者は「過剰な接続」であるのに対し、後者は「分断」しつつも関節的に「接続」している、と捉えました。
この、スマホゲームが可能にした奇妙な公共性を、「すれ違いの公共性」と定義しました。
すれ違いの公共性とは、人々が関係性を持つことを強要されていないが、偶発的に関係性が生まれる可能性が高くなっている状態です。
このすれ違いの公共性を、物質としての建築で実現するための試みが、本計画です。
 
「すれ違い」の空間を生成させるために、一般的な建築群とは異なるボキャブラリーで、
既存の建築群では専有できない領域に場を張る必要があると考えました。
そして、渋谷の中で、(3番のような)建物の間や、看板の裏等の隙間の空間を見出しました。
 
次に、見出した空間が、すれ違いの公共性を有するべく、敷地周辺から引用した複数の機能を有した、最小限の構造物を鉄骨や合板でまず計画しました。
そこから、利用者による”創発"を産む為に、ワイヤーや皮膜を用いて構造物の機能的なエントロピーの減少を行いました。そして、最後に生成されたものを我々は、その性質から「NEST」と名付けました。
NESTは、既存建物を起点として張り巡らされる無数の線材によって場を成立させます。
NESTは、既存建築に構造的に依存し、最低限の関係性を維持しながら、同時に無関係な場所を生み出すことができると考えています。それは、NESTと既存環境のすれ違いと言えます。
 
 
 

失敗1:伝わるレベルまでコンセプトを研ぎ澄ませなかった

 
知識や、広く学びには、
 
1.それを大枠で理解する段階
2.本質的な理解が深まる段階
3.それを利用して新しい考えが生まれる段階
4.生まれた新しい考えから、実践やデザインが行える段階
の大枠で4つがあると思います。
 
バラバラの単語として散らばっているアイデアを、上のレベル4の段階まで深く理解し、それぞれの主従関係や、カテゴリー、歴史上の前後関係、文脈などを考えて、一つのストーリーに練り上げ、それを何らかのカタチに変えて行くのが、意匠系の人間の特殊能力の一つだと思います。
 
しかし、僕の卒業設計では、
・都市の公共性
・情報技術が社会にもたらした変化
・渋谷の再開発
・建築をヒモにして行く、という設計手法自体のテーマ
 
この4つの大きなテーマを、無理なく、わかりやすく接続して行くことに失敗しました。
そして、4つのテーマ全てに関して、前述の理解のレベルでいう1~2の間にいるまま計画を進めたので、うまく繋げることができませんでした。
  
その反省から、自分の考えているごちゃごちゃしたアイデア群を、分かりやすく線にして伝えるために、今はブログをやっています。
 
1.バラバラの思いつき
2.ライトなブログの記事
3.論文や書籍の引用を含んだエッセイ
 
1→3の順番で、どんどん考えていることを洗練させる予定です。
たまに、常体(だ、である調)の文章で投稿するのは、自分で、3の文章を書いている、という意識をするためです。
 
今は、卒業設計で投げまくったバラバラのキーワードを、様々な本や文献を漁ることで、お互いの繋がりを探している段階です。
 そして、その興味が、今の世の中ではどういう形で必要とされそうか、どのように形を変えて実現できそうか、あれこれ試している段階です。
 

失敗2:“普通の建築”を作れる基礎がまだ整っていなかった

 
作品を見ていただければ分かるかもしれませんが、僕の卒業設計は、
 
一度”普通に”建物の間に設計した構造物を、どんどんワイヤーのような軽い構造物に置き換えて行く
 
という巻き戻しのような設計手法を取りました。
 
つまり、一番少なく見積もっても普通の設計の2倍は時間がかかります。
 
実際は、ディティールまで考えるとすると、単純に2倍ではなく、4倍、16倍とどんどん設計時間が増えて行く感じがありました。
また、渋谷の複数の敷地に散らばって計画をしたため、純粋に一つの大きな計画をするよりも図面の枚数が増え、時間がかかってしまいます。
 
僕は、学部3年が始まるまで、正直、
 
「建築とかよくわかんねー!なんでみんなディティールとかプロポーションとか騒いでるんだ!?」
 
というタイプの学生でした。(恐らく、皆さんの周りにも数人いると思います。)
 
なので、設計に関しての基礎知識が不足しており、設計手法のうちの"普通の構造物を設計する"の段階で、かなり時間を取られました。
 
折り紙で鶴が折れないのに、人魚を折ろうとしたようなものでした。
 
今は、まずは普通の建築を知ろうと、時間があれば下の本の図面のトレースをしています。
 
 
Floor Plan Manual Housing
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  • 作者: Oliver Heckmann,Friederike Schneider,Eric Zapel
  • 出版社/メーカー: Birkhauser Architecture
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失敗3:マネジメントの失敗

 
上に書いたように、普通ではない設計手法や構造を取ったのなら、もちろん予測できない事態が起き続けます。
ザハ・ハディドの新国立競技場のように、世界トップクラスに優秀なプロが集まっても、今までに無いものは予想外の塊です。学生がやれば当然それ以上に色々なことが起きます。
それ故、他のチームよりも数週間前倒しのスケジュールで行うべきでした。
 
 
 
僕は、このつぶやきの人は真逆の、典型的な
後輩を大量に呼んだのに、全然終わらない先輩でした。
 
そして、その理由は①、②の、基礎訓練、フィジカルのようなものが足りなかったことに加えて、自分の大雑把な性格や、なるべくギリギリまで選択肢を取っておきたい指向性が起因してます。
 
僕は、自分で言うのもなんですが作業は早い方です。
ただ、むしろそういう人が、油断をすると、
 
いや、まぁ終わらせられるだろ!
 
と思ってしまい、後々勿体無いことになってしまいます。
 
 なので、最近では大きなことを考えつつも、まず目の前のことを先回しにやる癖をつけなきゃなぁ…
と思い、部屋の掃除や、洗濯、なるべく期限は守ることを意識しています。
 
これがつもり重なると、マネジメントの力として現れてくるのだと思います。
 
(ただ、長い間に着いてしまった習慣は、すぐには変えることは出来ないので、一歩ずつやって行くしかありません。)
 
 

成功?:自分の謎のこだわりから出発したのは良かった

 
これを言ってしまうと本末転倒ですが、それでも僕は学部の段階で派手にコケることができてよかったな、と思っています。
 
工学系のチームメイトも、最初は"ヒモの建築とか、何を言っているんだこいつ"、という顔をしていたのですが、最後の方は、文句一つも言わず、
 
“いや、お前が最初から面白がってたことやった方がいいでしょ、ここまで来て評価気にして簡単にするのは良くないよ。工学系の提案は適当にやっとくから任せとけよ。”
 
と言ってくれました。(結局、ヒモの詳細図を描くのは無理なので、建てようと思っていない図面をでっち上げてもらいました。)
どんなアホな提案でも、自分が人間として信頼してもらえれば、ついてきてくれる人はいるんだな、と思った瞬間でした。
 
等身大で、自分がザコである、ということが分かり、元々無いですが変なプライドのようなものが完全に消えたので、素直にやれることから努力しよう、と今は思っています。
 
ただ、この自分の謎なこだわりと向き合って、それを社会と接続していく道(界隈では、私的全体性、と言う時もあります)を選ぶと、
最初は、常に色々な人に???という目で見られてしまい辛いですし、接続の為に普通の人の数倍は色々と勉強しなければなりません。
 
なので、そんなにこだわりもないし、普通に理解してもらえて、普通に目の前の人を幸せにしたい、という気持ちが大きい人は、こんな大変なことはしない方がいいと思います。
 
それで実際多くの人は幸せにできます。
 
ただ、よく分からないけど何かこだわりがあって、それを社会と頑張って接続していきたい、そしてそれを意味のある形で社会にスケールさせていきたい、という人は、まず最初の失敗、自分と社会の距離がどれだけ離れているかを身体で実感するいい機会だと思います。
その場合は、多分今までにない設計に取り組むことになり、失敗の可能性が上がりますが、最初の失敗の機会としてぜひ空振りを恐れずにフルスイングするべきだと思います。
失敗を繰り返すことでしか、成功の確率は上げていけないので。
 
これから卒業設計に取り組む学生は、
 
さぁ何がウケるんだ!!まずはせんだいデザインリーグの本を見て傾向分析だ!
 
というステップに出る前に、その辺りを深く考えてみるといいと思います。
 
 
と、書いてみると、
 ああ、反省したけど本当に少しずつしか変わってないなぁ…、と言うのが明らかになって、良かったです。
スタジオ課題の締め切りが迫っている!!