エッフェソイヤ!

建築のバックグラウンドから、次世代の建築を作るにはどうすればいいか考えているデザイン系院生が、建築/ゲーム/XR/UXデザイン/シチュアシオニスト/バク転/カポエラ/パルクール/筋トレ/クラブカルチャーについて幅広く語ります。

VRがIQOSから学べること(Takramcast "怠惰の法則"感想)

 
今回は、僕がよく聞いているTakramのPodcastの中で、面白かった回の内容を、もう少し建築/VR方面に深堀りして考えてみよう、という試みです。
 

Takram Podcast の “怠惰の法則” 回

 
このPodcastの主題は、ある新しい技術のデザインにおける、”楽さ”や"当たり前さ”が、新しい技術の明暗を分ける、というものです。
そして、技術は常に人が楽をできるような方向に発展していっている、とまとめ、それを”怠惰の法則”と呼んでいます。
Podcast内での具体例の一つとして、”火”周辺の技術発展の裏にある"怠惰の法則"が説明されています。
 
火の発明は、雷を待つよりも楽だから、浸透していった。
そして、それが火打ち石、火おこし器、コンロ、電子レンジへと、どんどん”ものを温める"事に対して楽な方向に進歩してきた。
 
というようなフレームワークです。
 
それを発端に、例えばコミュニケーションツールの進歩なども、同じようなフレームで切り取っています。
 
 

VRは、人間の怠惰性にフィットしていない。

 
Podcast内で、VR技術も怠惰の法則的に見た場合どうなのか、というテーマが持ち上がり、その際、
“VRが流行らない理由は、価格やVR酔いではなく、シンプルに面倒臭いからだ”という仮説が出ていました。確かに納得できます。
 
小さいコストで大きな効果を生み出すように人間と人工物の関係性は進化してきた。
怠惰になるということは、つまり生産性が上がって行くということ。
新技術が受け入れられるかどうかは、それを使う面倒くささと、その面倒臭さから得られる生産性や効果の向上、どちらが上回るか、という比較の元で成り立つ。
 
このような話に、Podcast内では展開していきます。
 

※事後報告ですが、"バイリンガルと翻訳技術から建築業界の未来を考えてみる"、はPodcast後半の”天才殺し”を参考にして書かせていただきました。

 

IQOSのデザインの総合的な秀逸さと、面倒臭がりに対しての優しさ

 
 
僕は喫煙者なのですが、数ヶ月前にIQOSに乗り換えました。
実際に使ってみると、IQOSは先ほどの"怠惰の法則"にものすごく乗っ取った良い製品だな、と感じることが多いです。
 
①普通の喫煙より、においがしない。
落ちる灰を気にしなくてよく、かつ匂いがつかないので、普通のタバコよりも吸える場所が多く、部屋で寝転がりながら吸っても全く部屋が臭くなりません。(タバコを吸うのに立ち上がったり外に出るのが面倒臭く思う人に優しい)
 
また、ガジェット自体のサイズも、普通の紙巻きタバコよりも絶妙に小さい(小さすぎない)ので、タバコの代わりに持ち運んでも違和感がありません。
②絶妙に今までの喫煙体験の延長線上にある。
カートリッジの直径が、既存のタバコと同じサイズなので、タバコを吸っている感じがします。

http://www.dutchtobacconist.nl/wp-content/uploads/2017/04/iqos-heets-510x465-1.jpg

③タバコと同じ場所でカートリッジが買える
カートリッジを街の小さなコンビニまで揃えるというインフラ整備をしたところがすごい。(いちいちIQOSだけを探しにどこか別の場所へ行く必要がない)
 
このように、IQOSは喫煙行為自体の面倒臭さを消した上で、かつ喫煙行為から離れすぎることにより生まれる面倒臭さもブロックしている、という非常に秀逸なデザインだと思われます。(そんなに面倒臭いならタバコやめろよ、という意見は、すみません、その通りです。)
 
 
IQOSの類似品にVAPEというものがあります。
ただ、友人でVapeを吸っている人を見ると、自分で液体を調合したり、機械も大きかったりで、ものすごくめんど臭そうです。
VAPEは、既存の喫煙体験を担保するかのようで、実際は喫煙とはいい意味でも悪い意味でも全く別の次元にあるもので、煙アートみたいなものが既に大量に生まれています。
 
 
つまり、Vapeは怠惰の法則的には喫煙行為を置き換えることはないが、喫煙行為から発祥したタバコとは全く別の方向性のデバイスである、と言えると考えられます。
 
VR技術は、Vapeになるか、IQOSになるか、今ちょうどその境目にあると言えるのではないでしょうか。
 
 

VR技術は、現状は怠惰な設計者のみに向けた技術だ

 
怠惰の法則は、実は建物を作るという行為と、VRで空間を作るという行為、どちらも”空間体験を作るための手段”としてフラットに見た場合、どのような住み分けがなされて行くか、を考えるにあたり有効だと考えられます。
 
VR技術は、IQOSがコンビニでカートリッジを買えるように手を打ったような、”するっと”した感じがまだ足りていません。
 
しかし、建物と進化したVR、おそらくどちらも視覚的な体験を担保でき、かつVRは作る側の視点から見たら、同じように空間体験を担保する建物を作るときに必用な、構造・法規・材料費・工法などに配慮する必要のない、ものすごく自由な体験設計ができるという利点があります。
つまり、VRは怠惰な空間設計者に優しい技術である、と言えるのではないでしょうか。
 
僕も、何度か建築事務所で実務を横目で見ながらインターンをしていましたが、その時正直に感じたのは”建築建てるのって、すげえめんどくさいな…"というものです。
 
建物の配置を少し変えただけで、水周りの配置ができなくなるのでその配置はダメだ、となったり、
じゃあ、水周りのスペースを大きく取ろう!と配置を変えると、今度はそのスペースが法規の高さ制限に触れてしまったり、
よし!図面上では完璧な設計ができた!と思っても、使おうと思っていたある部品の業者の人が、我が社の製品は売り出し方としてこういう方向性なので、この使い方はしないでほしい、と言われてしまったり…
 
とにかく、建築設計は関わる人や要素が他の業界に比べてもものすごく多く、その調整に大きなコストを割く必要があります。それは、空間設計のみを純粋に行いたいデザイン系出身の人間にとっては、なるべく減らしていきたい時間(コスト)だと思います。
なので、もしVR技術により実際の建築に限りなく近い空間、それにより引き起こされる体験が実現できた場合、それは空間デザインを行う人間にとっては夢のような話です。
 
複数の要素を考えなければならない難しさの他に、建築は”完成品をコピーアンドペーストができない”という当たり前の面倒臭さがあります。
ハウスメーカーの住宅や、一般的なマンションなどは、ほとんど共通のフレームワークでできているので、コピーアンドペースト的だと言えますが、ここでは、いわゆる建築家個人が、自分の哲学や美学に基づき、作品として作る建築を指しています。
一つの建築を作るのに必要な時間は、短いもので1年、長いもので数十年、サグラダファミリアなどは数百年かかってしまいます。
寿命たかだか80年の一人の人間が、人生の中で作れる建築は、多くても数十件でしょう。
運よく巨大な公共建築を建てたとしても、それを利用するのは現代建築が実質2,30年で取り壊されることを考えると、それを利用する人は数十万、数百万の規模ではないでしょうか。
 
しかし、VRを、インターネットを介して空間体験をコピーし、無限に配布できるシステム、と捉えた場合、一人の人間が何億人もの人に空間体験を届ける、ということは理論的には可能になります。
 
これは、設計者個人の”自分の作品を広げていきたい”という欲求に訴えるという要素が一つです。
それに加え、ベンヤミンが「複製技術時代の芸術」で述べたように、当時の写真技術という視覚的な複製技術は、アートを、礼拝的価値のあるものから、展示的価値のあるものへ変質させた、これと同じような現象が、人が包まれる”空間”自体を複製するVR技術と建築の間で起こりうるのではないか、と思われます。ここについては、また別の機会に記事を書こうと思います。
 
この、”設計の際の自由度”と、”空間体験の複製可能性”の2点は、僕のような"怠惰な"空間設計者にとっては非常に魅力的に映ります。
 
しかし、使う側(空間を体験する側)から見た場合、VR技術は、
誰も自分を変な目で見ない場所に移動して、
充電をして、
ソフトをダウンロードして、
パソコンにつないで、
ゴーグルを被る
という多くのステップを現状は踏む必要があります。
そのステップを無しに、そのまま空間が体験できてしまうフィジカルな建築の方が、空間体験をする為のメディアとして多くの空間体験において現状は優秀です。
フィジカルな建築は、身体一つでそこへ行くだけで体験ができるので。
 
現状のVRは、空間体験を設計したいデザイナーにとっては、”怠惰の法則”が成立しているので、作る側は積極的に使って行きたいが、使う側の目線から見ると、”怠惰の法則”の逆を行っているので、思ったより浸透して行かない、という状況なのだと思います。
 
 

露天風呂と火山でサザン

 
しかし、VRの方が良い場合、実際の建築の方が良い場合、はおそらく空間体験の種類により変わります。
ある空間体験を担保するのには、他のどんなデザインとも同じように、それに必要なコストが、使う側・作る側両方に存在します。
例えば、山奥の露天風呂という空間体験を作りたいとします。

http://iiyudane.com/wp/wp-content/uploads/2015/04/wayama-hitonarikan010.jpg

それに必要なコストは、作る側に対しては、露天風呂のハードウェア(建築)とその維持費が大きなものでしょう。
使う側に対しては、露天風呂までの交通費、移動時間、入湯料が大きなものです。
 
山奥の露天風呂の場合、建築を建ててしまった方が2018年現在では、使う側・作る側両方に対してコストは低くなると考えられます。
現状のVRは嗅覚・触覚・温感・湯気を再現出来ない、また現実に身体は綺麗にならないので、結局露天風呂に近づこうとするとものすごくいかつい、上記の感覚たちを完全シミュレートできるハードウェアの開発や、結局小さな浴槽が必要になってきます。
そうして限りなく近いものが実現できたとしても、ガジェットにがんじがらめになることにより、使う側の心理的負担(コスト)が高くなり、それに対しての効果も現実の露天風呂に及ばない、となるので、”いや、普通に時間かけて露天風呂行くわ…"となるでしょう。
 
しかし、例えば、火山の火口でサザンのライブという誰が欲しがるのかも分かりませんがひとまずものすごくぶっ飛んだ空間体験を作りたい場合はどうでしょうか。

https://netasite.net/wp-content/uploads/2013/05/33580f7f.jpg https://daily.c.yimg.jp/gossip/2014/12/28/Images/07617739.jpg

フィジカルなライブ会場(=建築)を火口近くに建てたい場合、まず超耐火性能を有したステージが必要になります。
また、サザンのライブなので、数万人の人間を火山口まで安全に誘導するためのシステムや施設、そのための特殊な技能を持った誘導員が必要になります。
来場者全員に耐火服を配布しなければならないでしょう。
かつ、その周辺自治体への配慮や許可を取る必要があり、ものすごくコストがかかります。当然、チケットの値段も普通のサザンのライブとは比べものにならないでしょう。
そして、火山はいつ噴火するかわからないので、ライブ中止になる可能性も十分にあります。その際のコストはものすごく大きいです。
 
しかし、VRで似たような体験を再現したい場合、
ライブ感を出すために現実の人はスタジアムに集めるとしても、必要になるのは、
  • スタジアムを締め切って、気温を40~45度にする
  • ライブ参加者に、火山の上のサザンを見せるためのVRゴーグル
  • 映像制作のためのコンテンツ制作費(サザンは実際に火山に行かなくても良い)
この3つで済みます。
実際にサザンにも火山にも触れることは、現実のライブでもないので、露天風呂と違い、視聴覚と身体にかかる熱風がハックできればそれで十分、ということになります。
おそらく、現実にスタジアム内に火口のような舞台装置を設計し、火をバーナーで噴射するよりも、コストは低くなるでしょう。(得られる体験の豊かさが担保されるかは、VR技術自体の性能に依存します。)
 
ある空間体験を作り出したい時、それを建築(フィジカル)で行うのか、VR技術と他の技術の組み合わせで行うのか、を決定するのは、"怠惰の法則"に戻りますが、同じ(もしくは限りなく近い)体験を担保するのに必要な様々なコストの合計値と、それによる費用対効果だと考えられます。
 
現状では、建築の方が結果的にコストが低くなる空間体験がほとんどで、今言ったような火山でサザンのような、物理的に不可能に近い極端な空間体験しかVRは有効ではないですが、VRが徐々に”怠惰の法則”に則り楽なデバイスに進化し、かつ再現できる感覚の種類・質が向上していった場合、徐々にそれがカバーできる体験の範囲は広がってくるのではないか、と考えられます。
 
そして、現代の空間デザイナーは、フィジカルかつ半恒久的な建築、仮設建築、VR技術を複合的に使い、作りたい空間体験に従い、前述の手法を臨機応変に運用していけば良いのではないでしょうか。