エッフェソイヤ!

建築のバックグラウンドから、次世代の建築を作るにはどうすればいいか考えているデザイン系院生が、建築/ゲーム/XR/UXデザイン/シチュアシオニスト/バク転/カポエラ/パルクール/筋トレ/クラブカルチャーについて幅広く語ります。

話の分かりやすさの本質は、情報の解像度にある

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僕は、自分ではそうは思わないのですが、人に、
話が分かりやすい、文章がスッと頭に入ってくる、と言われることがよくあります。
 
そして、確かに他の人が話したり、なにかを発表している時に、
 
いや、もう少し分かりやすく話せるだろ…
 
と思う場面がよくあります。
 
なので、僕が"分かりやすい”と言われる話や文章を作る時、自分の頭の中で何が起こっているか少し考えて、まとめてみました。
 
具体的なテクニックというよりは、少し抽象的な考え方のような話になってしまいましたが、
この考え方があると、小手先の"プレゼンテクニック!"のようなものに頼らずともわかりやすい話ができるようになると思います。
 
 

 

 

分かりにくい話をする人の例①

 
具体的なテクニックとして、
 
・文章を短く切ろう
・結論を決めよう
・ハキハキ話そう
・たとえ話を使おう
 
などは、就活アドバイスなどでもよく出てきますが、その背景の考え方を理解して言葉を運用していかなければ、このアドバイスはあまり効果的ではないと思います。
もちろん、これらは必要なことですが、根本的な、頭の使い方をインストールしなければ、これらのツール・テクニックは有効に使えません。
 
例えば、
 
「僕は、日本が好きです!
なぜなら、”社会"が安定している上に、他の国にはない”文化"があるからです!」
 
「僕は、御社の世の中にグローバルスケールでの影響を与えている面に惹かれました!
なぜなら、僕は留学経験があり、グローバルな仕事がしたいとずっと思っていたからです!」
 
みたいな言葉は、文章が短くて、最初に「日本が好き」、「御社に惹かれた」と言う結論が出ていて、一応それに対しての理由付けもありますが、何も伝わってきません。
文字にするとアホらしいですが、結構、周りでこう言うタイプの人が散見されます。大学2-3年生に多いです。
 
 

分かりにくい話をする人の例②

 
それとは逆に、難しい言葉を使いすぎて逆によく分からない、というタイプの人もいます。
大学院まで行くと、周りはこのタイプの人が多いです。
 
 
「無数の中心、そして、拡散し、流動しているなかで、創造する主体は単に任意の一地点(アービトラリー)を占めるにすぎない。
遊離魂(たま)、空白の祭壇(アルター)に水平移動しながら降臨するカミ(ひもろぎ)、余白を多く残した絵画、可変性(フスマ)と互換性(タタミ)に貫通された建築、指揮者を欠いた合奏、消滅へ向かう運動(すさび)、転移の瞬間の注視(うつろひ)など、間にかかわる芸術表現は、いずれも固定された主体の位置を否定し、明滅する状態にそれを追い込んでいる。」(磯崎新「ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり」より)
 
これは、建築家磯崎新というものすごくインテリの人の文章で、しっかり理解するとすごく面白いことを言っているのですが、(日本芸術の性質を一文で表現している名文です)もちろん一般の人に向けて書かれた文章ではないので、普通の人が読むとわけがわかりません。
磯崎新の場合は、本を何百、何千冊と読んでいるような人で、自分が何を言っているのかわかった上でこうした用語を使っており、文章にも構造があるので、しっかり読んで行くと意味が分かってきますが、
学生の中には、難しい言葉を使おう、使おうとするあまり、言葉だけは上のようなものに似ているが、それが文として繋がらず、宙に浮いているようなタイプの人が散見されます。
 
 

適切な情報の解像度を選択しよう

 
先ほどの二つの分かりにくい例、は、受けてに対して適切な情報の解像度の選択ができていない、という問題と捉えられます。
 
解像度は、4Kテレビ、ハイビジョン、などと言われるように、画面や画像のきめ細かさを示す時に使う値です。
 

 
 
僕は、この解像度が、画像だけではなく、話や文章にもあると思っています。
例えば、同じ”青”について話す時も、
 
解像度高:シアン、コバルトブルー、マリンブルー、エメラルドブルー、藍色、群青色、空色
解像度中:青、水色
解像度低:青
解像度最低:色
 
など、情報の細かさや、詳しさに様々なレベルがあります。
 
そして、先ほどの分かりにくい人たちの二つの例は、
 
①の人は、受け手が理解できるよりもはるかに低い解像度で伝えている
②の人は、その逆で、必要以上に解像度が高すぎる
 
と言えると思います。
 
例えば、服の色をデザインするとき、デザイナーは普通の人の色に対しての解像度より、はるかに高いレベルで色を捉えられる必要があります。
服をデザインしていて、藍色にするか、コバルトブルーにするかを考えたいのに、
全部を”色!"としか捉えられない場合は、使い手に対して適切な色の選択をすることはできません。(まぐれでヒットすることはあると思いますし、そういう例はかなり多いです。)
しかし、必要以上に色に詳しすぎても、周りの人が余計な情報に囚われてしまい、"どんな色がなぜいいか”という話の本筋を見失ってしまいます。
 
解像度高すぎ:「コバルトブルーとマリンブルー、ある映画ではコバルトブルーが詩的場面で、マリンブルーがより動的な場面で使われていた。よって今回の作品はその動的性、ダイナミズムを象徴的に表現するためにマリンブルーを選択した。」
 
適切な解像度:「スポーティーなイメージをもたせたいので、水色ではなくマリンブルーにしました。」
 
解像度低すぎ:「かっけくしたいから、青!」
 
やばいレベルに解像度が低い:「ウォォォ!!色!!」
 
このような感じです。
最終的に、超ストレートな「ザ・青」のような色を選択するにしても、数多くある色々な”青"の中から、狙いを持って選んだ場合は、ただ普通の青しか知らない場合よりも、より効果的なデザインができると思います。
 
ただ、極端に言えば、最後の言い方をしても、周りの人がそれを理解して、最終的にマリンブルーの服が世に出れば問題はありません。つまり、伝われば問題がありません。
 
しかし、多くの専門的な文章や専門家の人の話は、そこまで込み入った話をしていないのに、無駄に高い解像度で書かれたものが多いです。
先ほどのマリンブルーと映画を結びつけた人や、ただの旅行の日程の書類なのに、何百メガバイトのファイルがメールで送られてくる場合、に近いです。
 
"いや、もう少し分かりやすく話せるだろ…”
 
と思う場合で多いのは、解像度の低い人の話、というよりは、それなりにしっかり勉強している人の解像度が高すぎる場合が多いです。
 
 

思考は高解像度に、アウトプットはできるだけ低解像度に

 
しかし、だからと言って難しい言い回しや専門的な用語が全て悪い、というわけではありません。
画像ソフトを少しいじった人ならわかると思うのですが、高解像度から低解像度にすることはできるが、低解像度から高解像度にすることはできません。
 
ブレードランナーに出てくるようなAIが使えれば話は別ですが...
 
話をする時も同じで、実はものすごく難しい言葉(高い解像度)で考えられる人は、複雑な話を簡単にする(低い解像度)ことはできますが、
簡単な言葉でしか考えられない人が、複雑な話を簡単にすることはできません。
 
 

 
なので、わかりやすい話や文章を書きたい人は、同じレベルの分かりやすい言葉に触れ続けるのではなく、
常に自分が少し理解できない、というレベルの言葉に常に触れていると、徐々に簡単に表現できる範囲が広がっていきます。
 
そして、まず、高い解像度で色々なことを考えられるようになると、自然とわかりやすい話ができる下地が作られます。
 
そうなると、今度はそれを簡単にして行くアウトプットの練習をすればよいのみです。
 
 

アウトプットの実践①文脈を考える

 
2つほど、ではどのような考えのもとでアウトプットしていけばいいのか、記そうと思います。
 
少し唐突ですが、わかりやすいアウトプットのイメージは、水墨画のような感じです。
 

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これは、丸山応挙「氷図屏風」という水墨画です。
パッと見ると、適当に何本かの線を引いたようにしか見えないのに、不思議と割れている氷が見えてきます。
ものすごく、氷というものを詳しく(高解像度で)観察し、最小限の線でアウトプットする。これがこの作品にはよく出ていると思います。
 
しかし、これがタイトル「氷図屏風」がないままだったらどうでしょうか。
理解できる人は、感性の優れた人を除いてかなり減るのではないでしょうか。
 
まず、前提として読書や個人で色々と文章を書くなど、普段から高い解像度でものを考えている必要があります。
それに加え、文脈に自覚的であること、も大事だと考えられます。
 
解像度低すぎ:「かっけくしたいから、青!」
やばいレベルに解像度が低い:「ウォォォ!!青!!」
 
「ウォォォ!青!」の人が、普段は色々と考えていることを周りの人に伝えていて、
スポーティーな気持ちになった時はこの人は「ウォォォ!」と叫んで、
この人の言う青はいつもマリンブルーだ、
と言うことが周りに前提知識(文脈)として伝わっている場合は、全く問題がありません。
 
そのように、自分が言っていることが普段どれだけ、いろいろな知識量や違った専門性を持った人に伝わるのか、何回も人と話して修正をして行くことで、徐々に人に合わせた適切な解像度の設定ができるようになります。
 

アウトプットの実践②順番バラバラに思いつくままに書いてみて、後から並べ換える

 
これは、どちらかというと文章を書くときに使える考え方です。
ものを伝える順番が大事だ、という話はよくされます。しかし、これは最初から完璧な順番で文章を書かなければいけない、というわけではありません。
最初から、文章の前後関係やつながりを気にしてしまうと、全く手が動かなくなってしまいます。
 
僕がブログの記事を書くときも、
 
①まず、タイトルやテーマを思いつく(どんなに、ふと思いついたことでも、とりあえずどこかにメモしておく)
②そのタイトルやテーマに従って、思いついたキーワードを難しく考えずにどんどん書いて行く
③キーワードを、文章に広げる
④広げた文章を、伝わるように並び替える
⑤細かい言葉の違いや、論理のつながりを検討する
 
というプロセスを踏んでいます。
特に、今ではEvernoteや標準のメモ帳など、文字をコピーして並べ替えるのが、手書きの文章よりはるかに楽になっています。
 
Twitterは、このように文章を作成する際に非常に使えるツールだと思います。
自分が書きたいテーマが思いついたとき、その部品として、似たようなツイートを自分が前にしていないか探して、それを持ってきたりもします。
 
例えば、今書いている記事の、①〜②の段階はこのような感じです。
 

 
 
これだけ見ると、普通の人は訳がわからないと思います。(風来のシレンという昔のゲームの良さを分析する、という記事を書いています。)

 

www.effesoysoya.com

書き終わりました。このリストがどのように文章になって行ったか、確認してみてください。(分かりにくくければ、すみません。笑) 

 

しかし、ここから上に挙げた①〜⑤のステップを踏めば、それなりに誰でも理解できる文章にして行くことは可能です。
 
この話は、ベストセラーの「思考の整理学」などにも出てきていたと思います。
より深く知ってみたい方は、今更感はありますが是非読んでみてください。
 

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

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もう少し、詳しく書けるといいのですが、あまり文字数が増えてもアレなので、今回はこの辺にしておきます。